変わらぬ楽しみは 東海林さだお「そうだ、ローカル線、ソースカツ丼」 [本]
2011年5月16日(月)
ここのところ酒に対して、へなちょこぶりに輪がかかってきた。
一昨日酒を抜き、まあ大丈夫だろうと昨晩、発泡酒のショート缶を3本飲んだ。
その時は良かったのだが、寝る間際になって腹が痛くなってきた。
トイレに入ると、くだっている。
しばらくして痛みはひいた。
今朝は普通に朝食をとる。
アジの干物に納豆、味噌汁と言うラインナップだ。
昼飯は、近所でラーメン中盛り。
なんでもない。
おやつに饅頭まで食ってしまう。
酒さえ飲まなければ、大丈夫のようだ。
晩御飯のおかずがサンマの塩焼きだったので、ついショート缶を一本飲む。
まあ、この程度なら問題は無い。
食事の後、横になって本を読む。
東海林さだおの「そうだ、ローカル線、ソースカツ丼」である。
ここのところ電車の中ではギャビン・ライアル。
家で寝る前には、これである。
そのまま読み終わった。
やはり、こっちのシリーズは面白い。
東海林さだおは、私の二十歳上。
って事は七十代だ。
相変わらずローカル線に乗って旅をしたり、京都に定食を食べに行ったり、広辞苑をからかったりしている。
物凄い事が起きるわけではないが、しぼんだりもしない。
私のこの不調が一時的なものかどうかはわからないが、年は確実にとっていくわけだ。
行き当たりばったりでいくしかないんだろうけど、こういう人がいると思うと励みになるなあ。
酔っ払い北へ行く 風間一輝「男たちは北へ」 [本]
2011年4月25日(月)
風間一輝「男たちは北へ」読了。
1989年の作品。
一人の中年男が、東京から青森を目指して自転車をこぐ話。
途中、ヒッチハイクでやはり青森を目指す少年が現れ、ありゃと思う。
これは山田深夜の「ロンツーは終わらない」のまるで裏返しではないか。
「ロンツーは終わらない」が、この「男たちは北へ」を意識して書かれたことは知っていたが、それにしても・・・。
と思っていたら、自衛隊の秘密文書がらみの話がどんどん大きくなってきて、そちらはまるで別種の様相を示してくる。
話は自衛隊の緒方三等陸佐と、(自衛隊側から見れば)謎の中年男、桐沢の側から交互に描かれる。
しかも、それぞれに一人称という凝りようだ。
そのあたり何か仕掛けがあるのかなと思って読んでいくが、途中でそんなことはどうでもよくなってくる。
それぐらい桐沢の旅の様子が、いきいきと描かれている。
桐沢風太郎は、池袋の安アパートに仕事場を構える、しがないグラフィック・デザイナー。
所帯持ちだが、アル中。
アルコールが切れると、発作を起こしたりもする。
なぜそんな彼が、何日も仕事を休んで青森を目指すのか。
古い友人に関係があるらしいのだが、それも途中でどうでもよくなってくる。
カタカナ業界の人間の癖に小洒落たところが苦手で、安宿や大衆食堂ばかり入っている。
アル中なので、食事にはビールをつける。
最初の一杯はしびれるほど美味いが、大瓶だと多すぎて残しちゃったりする。
ウィスキーを携行しているが、行く先々では地酒を飲む。
強いアルコールがあればそれで良いというアル中とは訳が違うのだ。
しかも自転車で青森を目指すだけあって、かなりのタフネスでもある。
その桐沢の旅に自衛隊の話を絡めたのは、無理やりのような気もする。
これ時代小説だったら、すんなりと収まるのではないか。
北を目指す酒びたりの素浪人。
旅をする少年。
素浪人を狙う謎の一団。
その裏には某藩のお家騒動が絡んでいた、みたいな。
映画なら主人公は、もちろん近衛十四郎。
うーん、すっきりするけど、ありがちだな。
やはり、これを現代を舞台に描いたところに意味があるんだろう。
著者の風間一輝は1943年、中国東北部(旧満州)生まれ。
1999年、仙台で亡くなっている。
DC下町裏長屋 ジョージ・P・ペレケーノス「終わりなき孤独」 [本]
2011年4月17日(日)
昨日読み終わったペレケーノスの「終わりなき孤独」のことなど。
ワシントンの黒人探偵、デレク・ストレンジ・シリーズの第2弾。
冒頭、街のチンピラが描かれ、やばい雰囲気を漂わせる。
場面変わって、デレクの元に2人の女が現れる。
依頼は、家出して売春をしている10代の少女を回収すること。
2人は、そういうことを使命にしているのである。
しかしデレクはこの仕事を、相棒のテリーに任しちゃう。
で、本人は地域の子供達を相手にフットボールのコーチをしたり、古くからの友人に頼まれて娘の交際相手の素行調査をしたりしている。
プライベートでは(まあフットボールのコーチもプライベートだが)事務所の女性ジャニーンと付き合っている。
ジャニーンには亭主はいないが息子が一人いる。
デレクはその息子、ライオネルにとっても父親でありたいと思っている。
しかしライオネルは年頃なので、そんなデレクに反発もする。
デレクの方にも今一つ踏み出せないところがあって、それはデレクの風俗通いに原因があるようだ。
てな話が同時並行的に進んでいく。
主人公をもっと能天気なやつにしたら、山手樹一郎が書いてもおかしくない。
元警察官のデレクが浪人者で、DCの下町が裏長屋。
相棒のテリーが恋に落ちちゃったりするあたりも、そんな感じである。
まあアメリカなので話はどんどんハードになり、怒涛のクライマックスを迎える。
ここいらへんが、さすがペレケーノスである。
どっこい生きてる 山田深夜「ロンツーは終わらない」 [本]
2011年3月7日(月)
山田深夜「ロンツーは終わらない」読了。
横須賀在住異能作家の、長編第二作目である。
主人公の岩山は38歳。
横浜出身で、現在は横須賀で一人暮らし。
わけあって無職。
性格は狷介固陋。
貸し借りにも、うるさい。
バイクが好きで、ツーリングもよくする。
そんな岩山が真夏の青森のキャンプ場から発とうとすると、一人の青年が声をかけてきた。
青森の実家から東京のアパートまで行くのだと言う。
ヒッチハイクならお断りとすげない岩山だが、ちょっとしたいきさつから近くの駅まで乗せていくことに。
と、その前に立ちはだかったのが、ベンツに乗った龍野兄弟。
果たして彼らの目的は。
作者の得意分野である「旅」がテーマ。
それは物理的な移動だけではなく、未来に向かって生きるということも意味している。
特筆すべきは、「電車屋赤城」で影を潜めていたユーモアが復活していること。
やっぱり、こうじゃあなくっちゃね。
泣いて、笑って、喧嘩してが、本来の持ち味だ。
走るフォームが、のびのびしてきた。
短編作家としてデビューした氏だが、おそらくこのまま長編を書き続けることになるのではないか。
基本的に一球入魂主義なので、そのほうが打ち込みやすいだろうし。
私としては、あの独特の短編も書いてもらいたいのだが。
現代のおとぎ話 エドワード・D・ホック「怪盗ニック登場」 [本]
2011年2月24日(木)
エドワード・D・ホック「怪盗ニック登場」読了。
人の依頼を受けて盗みを働く怪盗ニック。
報酬は最低2万ドル。
現金や宝石といった一般に価値のあるものは、お断り。
もっと動物園の虎とか、メジャーリーグのチームとか、陪審員とかも盗んで(誘拐?)いるので、価値うんぬんはあまり意味が無いような気がする。
一風変わった依頼で、ニックが興味を持つかどうかにかかっているわけだ。
泥棒版シャーロック・ホームズともいえる。
ただ法のこちら側にいるホームズと違って、結局、犯罪の片棒を片棒を担ぐことになる事が多い。
つまり裏社会の人間で、なおかつ、それなりに有名人でもあるようだ。
そんな人間が、変装もせずに次々と人に会い仕事をしているのは、いかに広いアメリカといえどもリアリティーが無いとは言える。
怪人二十面相やルパンのほうが、まだ整合性が取れているのではないか。
まあその辺はご愛嬌で、現代のおとぎ話として楽しむのが正解なのだろうな。
ニックにはグロリアと言う彼女がいるのだが、一話ごとに美女が絡んでくるのも趣向である。
これドラマ化したら楽しいと思うのだが、泥棒の話だから難しいかな。
なら映画か。
「夜の冒険」を読んだ時にも感じたのだが、この人の短編は結構長編向きの話が多いのだ。
元の作品は短いほうが、映画としての工夫も出来るし。
まあそれはそれとして、このように気楽に楽しめる娯楽小説と言うのは良いもんだ。
ポツリポツリでいいからクレイグ・ライス、A・A・フェア、ジョン・D・マクドナルドなどの作品あたりも復刊させてくれないかな。
亀に栄えあれ カール・ハイアセン「幸運は誰に」 [本]
2月6日(日)
カール・ハイアセン「幸運は誰に」読了。
巨額の宝くじに当たった黒人女性と、やはり巨額の宝くじに当たった人種差別主義者と、黒人女性を取材に赴いた新聞記者と、その上司と、その妹夫婦と、その他色々おかしな者達が繰り広げる、てんやわんやの物語。
一応、主人公は新聞記者のトム・クローム。白人、長身、女にはもてる。既婚者だが、妻とは別れたがっている。
黒人女性ジョレイン・ラックスは元看護婦で、今は動物病院に勤めている。
男運が悪く、動物が好き。
人種差別主義者の首魁ボード・ギャザーは、悪いことすべて他人のせいにする性格。
例えば、自分の背が低いのは両親のせいだ、みたいな。
そのボードが自分の当たった分だけで満足していればいいものを、更に欲をかいたためにおこる騒動がメイン。
それ以外に、あれやこれやいろんな事がおこる。
まあいつものハイアセン節なのだが、今回はちょっと乗り切れない部分もあった。
主人公側は色々問題も有るが基本的に善人で、敵対する側は卑劣で愚かという構図が、何かパターンのような気がするのだ。
社会に一石を投じる記事を書くことが使命と信じる記者と、事なかれ主義の管理職ってのも、そうだ。
社会派ジャーナリストの主張を物語りにしてみました、みたいな感じ。
まあ途中で揺れ動く人間や、劇的に変化する人間もいて、楽しめるようにはなっているんだけど。
一番興味深かったのはレストラン「フーターズ」のウェイトレス、アンバー。
キム・ベイシンガーに似た美人ゆえ、騒動に巻き込まれてしまうのだが、度胸が据わっていて、ピンチにも動じない。
役から言うとかなり脇なんだけど、きらりと光る存在感がある。
彼女が動きだす後半は、なかなか楽しかった。
作者お得意の奇人、変人たちも沢山出てくる。
中でもダントツの奇人は、トムの上司のシンクレア。
最初に出てきた時は、記事の質など省みない事無かれ主義者の管理職。
それが途中で劇的に変貌する。
ただ、その後の話が本筋とほとんど絡まないままに進んでいくのがミソか。
消化不良だったのは、ジョレインに味方する幼馴染のモフィット。
この物語随一のタフで格好良いキャラクターなんだから、もうちょっと生かしようがあった気がする。
後半ジョレインたちがボードたちを追って、世間的には行方がわからなくなったあたり。あちこち突っつきまわして騒動を起こすとか。
その過程で、もう一つの敵である犯罪組織の資金洗浄係であるバーナード・スカイアーズと係わり合いになるとか。
そうすれば最後で、怒涛のクライマックスを迎えられたような気がする。
大体、敵が2組いて、それぞれ何にも係わり合いが無いってのも、すっきりしない原因だ。
所詮、トム、ジョレイン組は荒事にゃあ素人なんだから、武装した犯罪者と真っ向から渡り合うのは無理があるのだ。
大変貌したシンクレアも含め、ぐちゃぐちゃに入り混じって最後にドッカーンみたいな結末が私の好みなんだが。
しかし案外このとりとめの無さが、作者の持ち味かもしれない。
「復讐はお好き」のトカゲのエピソードだって、最後まで本筋と絡まないままに終わったし。
トカゲといえば「ロックンロール・ウィドー」の主人公も冷蔵庫に死んだトカゲを入れていたっけ。作中のバンド、ジミー&スラット・パピーズのアルバム・タイトルは「北アメリカの爬虫類と両生類」。
今作では亀をめぐる騒動が、どたばたと繰り広げられる。
その辺、何かこだわりがあるんだろうな。
最後に、気になった点をもう一つ。。
こりゃあ翻訳のほうの問題だが、ウォーレン・ジヴォンのことをゼヴォンって書いてある。
まあZevonだからゼヴォンと訳したくなる気持ちもわかるが、日本じゃあジヴォンが定着しているのだ。
有名人ではないにしても、カール・ハイアセンとは交流のあった重要なミュージシャンなのだから。誰かチェックできなかったのだろうか。
「ゼヴォンとは、俺のことかと、ジヴォン言い」なんてね。
東海林ワールド 東海林さだお「うなぎの丸かじり」 [本]
2010年12月22日(水)
エッセイ十番勝負 その十は東海林さだお「うなぎの丸かじり」。
最後は、やはり正統派のユーモア・エッセイで。
東海林さだおのエッセイは好きでよく読んでいたのだが、「まるかじりシリーズ」は久しぶり。
相変わらずの名人芸に酔わされるも、完成された東海林ワールドに多少の物足りなさも。
読者というのは貧欲である。
十番勝負を終えた感想は、対談集が面白かったと言うこと。
東海林さだおも、オール読み物に連載しているもう一つのシリーズには対談が入っていて、いいアクセントになっているのだ。
この辺、もうちょっと追求してみたい。
もっとも対談集十番勝負は、やらないだろうけど。
映画は人を結ぶ 和田誠 三谷幸喜「これもまた別の話」 [本]
2010年12月18日(土)
エッセイ十番勝負 その九は和田誠 三谷幸喜「これもまた別の話」。
これもまた対談集なのだが、かたいこと言いっこなし。
「それはまた別の話」の続編にあたる。
扱っている映画は「ジョーズ」「「赤い河」「アメリカの夜」「5つの銅貨」「ニノチカ」「男はつらいよ」「薔薇の名前」「タイタニック」「 猿の惑星」「マダムと泥棒」「カサブランカ」「雨に唄えば」と新旧の名作がずらり。
和田誠が昭和11年生まれで、三谷幸喜が36年生まれ。親子ほど年が違う。
したがって同じ作品に対する感じ方も違うわけだが、案外上手くかみ合っている。
ここいらへんが映画の良いところだ。
私も映画の話なら、結構年が離れていても何とかなりそうな気がする。
これが音楽(特にポピュラー・ミュージック)となると難しいのだ。
ビートルズ以降ならともかく、たとえばトニー・ベネットとかペリー・コモとかになると、もうお手上げである。
じゃあ現代のほうはどうかと言うと、更にわからない。
かつてのマイケル・ジャクソンやマドンナに相当するスターって、今は誰なんだろう。
レディー・ガガとかかなあ。
映画の場合、いまだにクリント・イーストウッドやデニーロが第一線で活躍しているわけで、世代間の分裂が比較的少ないのではないかと思う。
本書でとりあげられている寅さんシリーズなんてのも、その最たるもんだ。
あの成功は、設定の妙と、渥美清が老けないキャラだったことだろう。
もう一つの長寿シリーズ「座頭市」は、老けてもいい設定だったのが良かったのかな。
逆に「若大将」シリーズなんかはもっと早くにやめて、007みたいなのに鞍替えしていれば良かったのになあ、てのが私の意見だが、これもまた別の話である。
追いつ追われつ 船戸与一「非合法員」 [本]
2010年12月6日(月)
船戸与一「非合法員」読了。
主人公の神代恒彦は、CIAの非合法員(イリーガル)だ。
金で雇われ、世界各地でやばい仕事をする。
要するに殺し屋である。
正規職員に比べると身分の保証は無いが、その分報酬は良い。
今回はMIM(メキシコ保安局)の依頼で、ユカタン半島で仲間とともに一仕事。
しかし報酬をもらう段になって、次々とトラブルが降りかかってくる。
金ももらえず、命を狙われるようになった彼らは、アメリカに戻り真相を知ろうとする。
外浦吾朗の名で「ゴルゴ13」の原作も書いていた作者の第一長編。
1979年の作品だ。
ベトナム戦争の傷跡がまだ生々しく残っていた時代の話で、「ランボー」プラス「ゴルゴ13」みたいな感じ。
船戸与一の作品は、昔何冊か読んだ。しかし、迫力はあるがストーリーが頭にすっと入ってこなかった記憶がある。
まあこれは、私の読解力の問題なのだが。
それに比べると、今回は大体把握できた。
クリント・イーストウッドと、ペレケーノスを経由してきたせいだろうか。
実は本書を読む傍ら、北上次郎の「新刊めったくたガイド大全」をぱらぱらと読み直していた。
1979年から1994年までの冒険小説のブックガイドで、船戸与一や志水辰夫などの大物が次々と現れた時代の熱気が伝わってくる。
日本のものは時代小説を軸にすえようと思っていたのだが、どうもこの手のアクション物にも興味がわいてきた。
大藪春彦や西村寿行あたりまでさかのぼる可能性があるが、はたしてどうなることやら。
ほろ酔いミステリー 小泉喜美子「弁護側の証人」 [本]
2010年11月19日(金)
小泉喜美子「弁護側の証人」読了。
大富豪の家に元ストリッパーの若い娘が嫁いで、そこで殺人事件が起きる。
誤認逮捕があり、冤罪を晴らすために一見さえない酔いどれ弁護士が登場する、という話。
古典的な設定で、実を言うと私はこの手の話が苦手なのだ。
途中で少しだれたが、しかし読み終わるとすっきり。
謎解きミステリーは、長編でもこれくらいの長さが良い。
仕掛けられたトリックも、シンプルで好感が持てた。
大仰なオビの文句など、目に入れないほうが良い。
肩に力を入れずに、素直に向きあおう。
調べてみると、これが作者の第一長編で、1963年の作品。
色々あって第二長編の「ダイナマイト円舞曲」は1973年。
同年には小林信彦の「合言葉はオヨヨ」が出ている。
読み始めたばかりのミステリマガジンに、書評が載っていた。
「オヨヨ」はすぐ読んで速攻はまったが、小泉喜美子には結局縁が無いまま。
しかし、その名前とともに作者の経歴として紹介されていた「弁護側の証人」と言う書名も記憶に残っていた。
そういう意味では、感慨深い物がある。
ちなみに私が初めて買った「ブラックミュージック・リビュー」のレコード評欄に載っていたのが、ルーサー・ヴァンドロスの「ネヴァー・トゥー・マッチ」と、マーク・サダーンの「エキサイティング」。
当時はもっと古い音楽に興味が有ったので、手を出さなかった。
結局「ネヴァー・トゥー・マッチ」は1年ぐらい前、「エキサイティング」はついこの間手に入れて聴いている。
なかなか良い感じで、1980年代初頭のソウルミュージックと言うものに、改めて興味を抱いているところだ。
考えてみると、小泉喜美子もルーサー・ヴァンドロスも故人である。