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晴れた日の昼下がり KINKS 「The Single Collection」 [ROCKでいこう]

2011年8月8日(月)

 キンクスの「ザ・シングル・コレクション[1964-1970]」を聴く。
 私が始めてキンクスを聴いたのはアリスタから出た「ギヴ・ザ・ピープル・ホワット・ゼイ・ウォント」。
 そこから少しさかのぼって聴いているうちに、パイ
時代のアルバムが再発される。社会人になったばかりと言うこともあり、片っぱしから買いまくった。
 このパイ(更にRCA)
時代こそが、キンクス及びレイ・デイヴィスの黄金時代だ。
 その頃のシングルをまとめたのが、本CDと言うことになる。

 デビュー・シングルは「ロング・トール・サリー」。
 リトル・リチャードのヒット曲のカヴァーである。
 日本では「のっぽのサリー」の邦題で知られる、ロックの古典だ。
 と言っても、そのオリジナル曲には何の思い出も無い。
 何せ、オリジナル・シングルが発売されたのは1956年。
 私が生まれる前だ。
 ただ私より年上の人たちには、このタイトルが親しまれていたようだ。
 
「小さな恋の物語」で、チッチが恋する男の子の愛称がサリー。
 また、今やベテラン俳優となった岸辺一徳も、ザ・タイガース時代(当時は岸辺修)はサリーと呼ばれていた。
 これは、二人とも身長が180センチ以上ある「のっぽ」だったところから来ている。
 もっとも、歌の中に出てくるサリーは女の名前なので念のため。
 このシングルは、まったく売れなかった。
 次の「ユー・スティル・ウォント・ミー」も、鳴かず飛ばず。
 満を持して出した3曲目の「ユー・リアリー・ガット・ミー」が大ヒットし(全英チャート1位)。ここからキンクスの快進撃が始まることになる。
 と言ってもこれはイギリスの話で、日本じゃあヴァン・ヘイレンのカヴァーの方が有名だろう。
 次の「オール・オブ・ザ・ナイト」も、ギターが印象的。
 この路線を突っ走ればハード・ロックの勇者になっていたかもしれないのだが、そうならないのがキンクス。
 美しいメロディーと、鋭い歌詞が渾然一体となった、独特の世界を築いていく。

 その特徴がもっとも良く現れたのが「サニー・アフタヌーン」だ。
 税務署によって有り金残らずもって行かれた(おそらく上流階級の)男。
 恋人にも逃げらた。
 がらんとした家で、なすすべもなく晴れた午後をぼんやりと過ごす。
 助けてくれ、助けてくれと言いながら。
 てな感じ。
 これがノスタルジックなメロディーにのって、優しく歌われていく。
 当時の労働党政権による重税政策を皮肉った物らしい。
 次の「危険な街角(Dead End Street)」の主人公は一転して下層階級。
 失業中で行き場の無い暮らしに、絶望している。
 1960年代の半ばはスウィンギン・ロンドンといわれ、みんなが浮かれている状態だったらしい。
 そんな中でレイ・デイヴィスは「おいおい、なんか違うんじゃあないの」って思ってたわけだ。
 しかもこんなやるせない歌を、なぜかとても楽しそうに歌っているのが、また、いかにもなひねくれぶりだ。

 アルバムで言うと「フェイス・トゥー・フェイス」の辺り。
 ここいらからレイは、コンセプト・アルバムに、こだわるようになる。
 ロック・オペラとでも言うべき独特の世界に熱中しすぎて、レイは一時期おかしくなっちゃうらしいが、それは後の話だ。
 ちなみにロック・オペラなアルバムで一番好きなのはRCA時代の最終作「不良少年のメロディー」である。
 
 その後、アリスタに移籍すると、コンセプト・アルバム的なこだわりを捨て、アメリカでもヒットを飛ばすようになる。
 私が出会ったのもその頃な訳で、そうでなければ出会うことはなかったかもしれない。
 その曲がヴァン・ヘイレンにもジャムにもカヴァーされたことから判るように、ハード・ロック好きにも、パンク、ニューウェーブ好きにもピンと来る音楽であったことも、良かった。
 偏屈なようでいて、かなり懐の深い人でありバンドなのだ。
 
 とはいえ、私が熱心に聴いたのは「ステイト・オブ・コンフージョン」あたりまで。
 来日公演にも行ったのだが、思ったほどの感激はなかった。
 何だか、イギリスのロックというものに、肌が合わなくなってきたのだ。
 このあたりは自分でも面白いので、先々考えてみたい。
 


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